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星記者: 私たちは孫立人将軍行館にいます。勝利お爺ちゃんに、この建物にまつわるエピソードをうかがいましょう。
勝利お爺ちゃん: 孫立人将軍行館の前身は日本陸軍第3飛行師団の師団長官舎で、この辺りで一番階級が高い将校の官邸だったんだよ。行館の敷地面積は広大で、ここの建物はアルファベットの「T」字型に配置されているんだ。玄関のある場所は二階建て、後ろの方は平屋建てで、和洋折衷になっているんだよ。つまり、和風と洋風を混合した建築様式だね。
星記者: だから建物の手前は洋風の二階建てで、後ろ半分は和風の住宅なんですね。
勝利お爺ちゃん: 2階の窓の装飾を見てごらん。あれは西洋建築に使われる装飾で、ロンバルディア帯(たい)と言うんだよ。玄関口に貼られた薄茶色のタイルが見えるかな?
星記者 見えます!
勝利お爺ちゃん 日本人技師がこの建物を設計した時、建物の様式や、使用する建材は高温多湿の台湾の気候に合ったものにしなければならなかったんだ。例えば、あのタイルも汚れや雨に強い建材の一つなんだよ。台湾は雨の日がとても多いからね、雨水(あまみず)で建物の外側がすぐに汚れてしまうんだよ。
星記者: じゃあ、1階にある廊下や日陰棚(ひかげだな)なんかも何か特別な効果があるんでしょうか?
勝利お爺ちゃん: そうなんだよ。廊下の効果と同じ、テラスの上に屋根や日陰棚を付け、、日光が直接部屋に差し込まないから、室内の温度が自然と下がるんだよ。
星記者: 孫立人将軍は何年ぐらいここに住んでいらっしゃったんですか?
勝利お爺ちゃん: 孫将軍はこの家に8年ほどお住まいだったね。将軍が引っ越されてからしばらくして空軍招待所になったよ。軍の宴会をしたり、上級将校の接待をする場所になったんだ。星さんは孫将軍のお顔をご存知かな?2階にご本人にそっくりな蝋人形があるんだよ!
星記者: 勝利星村で一番有名な住人は間違いなく孫立人将軍でしょうね。勝利お爺ちゃん、孫将軍のエピソードをお話していただけますか?
勝利お爺ちゃん: そうだね、孫立人将軍は清代末期生まれで、孫一族は安徽省の名家だったから、非常に裕福な家だったんだ。幼い頃からいろいろな書物を熟読してよく勉強したそうだよ。英語もすごく上手だったらしい。孫将軍はアメリカに留学して土木工学を学んだんだけど、卒業後はお父さんを騙して、またアメリカの軍学校に入学したんだって。帰国後は軍隊に入って、台湾に来る前にたくさんの武功を立てたそうだよ。台湾に来てからは主に兵士たちの訓練に従事して、国軍の基礎を築いたんだ。
星記者: じゃあ、孫将軍はいつ頃この村に住んでいたんですか?
勝利お爺ちゃん: 1947年から1955年まで、8年間この村で暮らしていたんだよ。だけどその頃、孫将軍は任務の都合で、台北と屏東、2箇所に官舎があって、行ったり来たりしていたんだ。この家には広々とした庭があるから、庭で太極拳をしたり、部下とバドミントンをしたりしていたね。それから、いろいろな動物を飼っていたよ。鹿や馬、ンシェパード犬とか。それと、少しの間だったけど、ミャンマーから連れてきた2頭のゾウもこの庭で飼っていたんだよ。
星記者: もしかしてそのうちの1頭は孫将軍と一緒に参戦して、その後、台北円山動物園に送られ、天寿を全うした「林旺」なのでは!?
勝利お爺ちゃん: その通りだよ。林旺は台湾で一番有名なゾウになったんだよね!その後、孫将軍はスパイ事件に巻き込まれた上、部下が企(くわだ)てたクーデターを容認していたという嫌疑(けんぎ)をかけられて、台中で軟禁されることになり、1988年になってようやく軟禁を解(と)かれて自由の身になったんだ。
星記者: あの時代ならではの悲劇ですね。それでも潔白が証明されてよかったですよ。
星記者: このクスノキはずいぶん大きいですね。この村の木はどれも手入れが行き届いていますね!
P君: 星さん、どうしてクスノキを知ってるの?
星記者: もちろん知ってるよ!クスノキは清代からずっと台湾の重要な商品作物(しょうひんさくもつ)だからね。クスノキから取った樟脳油(しょうのうゆ)を輸出できるだけでなく、木材は水に強くて、防虫効果もあり、天然のいい香りがするから、家具作りによく使われるんだ。樟脳と砂糖、お茶は「台湾の三つの宝」と言われるんだよ!
樹木博士: それにクスノキは台湾ではおなじみの街路樹で、主に中海抜から低海抜に位置する広葉樹林に分布しているんです。かなり前にほとんど切り倒されてしまったんですが、生態系の再生活動のおかげで、最近またクスノキの姿を見かけるようになりました。今、この村にあるクスノキは全て日本統治時代に植えられた木だと推測されています。
P君: 孫立人将軍の旧居にも大きなクスノキがあるよ。
樹木博士: この村にはあと2種類、生活用品が作れる木があるんですよ!あそこにあるシュロの木にそっくりな木を見てください。あれはビロウという木で、原産地は台湾宜蘭の亀山島です。暑さにも寒さにも強く、乾燥や日照り(ひでり)、アルカリにも強いし、日光が大好きなので、屏東での栽培に最適です。ビロウの葉は蒲葵扇(びろうせん)という団扇(うちわ)も作れるんですよ!
P君: 僕のお婆ちゃんも蒲葵扇を一つ持ってるよ。夏になると、僕も蒲葵扇であおぐんだ!
星記者: じゃあ、この葉っぱに硬い毛が生えている木は何ていうんですか?
樹木博士: それはムクイヌビワです。葉に硬い毛があるので、食器洗い用のスポンジがなかった頃は、この葉っぱでお皿を洗ったんですよ。それと、この木の木材は弾力があって、軽くて柔らかく、ひび割れもしにくいので、たらいとかの日用品を作るのにもよく使われるんです。
星記者: 成功区に来ると、成功路にずらっと立ち並ぶ官舎が目に入ります。全く同じ建築様式になっていますね!日本統治時代に初めて建てられた官舎がこの建物だそうですよ!勝利お爺ちゃん、成功区の建物と将軍屋敷一帯の建物にはどんな違いがあるのか、ご存知ですか?
勝利お爺ちゃん: 成功区の官舎は木造だけど、将軍屋敷の辺りにある建物は、外壁には主にセメントが使われているんだよ。日本陸軍飛行第8連隊の軍官とその家族を住まわせるために、1928年に陸軍技師の浅井新一が設計を手がけ、最初の軍官宿舎群の建設が始められたんだ。浅井新一は当時、名を知られた設計者で、台北市の台湾軍軍司令官官邸や、基隆要塞司令部とかの歴史的建築物はどれも浅井新一の作品なんだよ。
星記者: この家の外壁に使われているこげ茶色の板は、取り付け方がちょっと変わっていますね。
勝利お爺ちゃん: そうだね。これは「下見板」(したみいた)と言うんだよ。よく見ると、板の下の方がスカートの裾のようになっているだろう?板を1枚ずつ順に重ねてあるから、1枚ずつはめ込んだ板壁(いたかべ)とは見た目がだいぶ違うよね。
P君: うん!この作り方だと、何かいいことがあるの?
勝利お爺ちゃん: これもやっぱり台湾の高温多湿な気候に合わせて設計されたんだよ。木をはめ込んだり、貼り合わせたりした普通の壁だと、雨水(あまみず)が継ぎ目にたまりやすくなるんだけど、この下見板張り(したみいたばり)の壁だと、雨水が排水管までサーッと流れ落ちて行くし、外の暑さを和(やわ)らげる断熱効果もあるんだよ!
P君: 勝利お爺ちゃん、この家は特別大きいね!
勝利お爺ちゃん: この家は日本陸軍第8連隊隊長官舎だったから、当然他とは違うよ!日本総督府の高等官(こうとうかん)官舎は4種類あって、建築様式は一戸建てか二軒長屋だった。床面積(ゆかめんせき)は33坪から100坪までいろいろだよ。階級が高ければ高いほど、与えられる官舎も広くなるんだ。
星記者: この家の外壁の色は他の家とはだいぶ違いますね。
勝利お爺ちゃん: この官舎は階級が一番高い人が住んだ家だからね。この建物が建てられた時、他の家とは違う色─青と白で壁を塗って、他との違いを強調したんだ。ほら、見てごらん。車寄せが幅広でかなり長くなっているだろう。それに太い柱が4本もある。実はあの門の前には「客人を迎えるための車道」も設計されていたんだけど、道路が拡張されて建物全体の外形も変えられたんだよ。だからあんまり違いがわからないよね!
星記者: やっぱりえらい人の邸宅だったんで、玄関がこんなに立派なんですねえ!
勝利お爺ちゃん: 連隊長官舎にはもう一つ見所(みどころ)があるんだ。それは建物の両側にあるテラスと日陰棚だよ!
P君: ええ~僕のうちには日陰棚なんかないよ~
勝利お爺ちゃん: 台湾の気候を考えて、日本統治時代にこういう日陰棚付きの柱が設計されたんだよ。このテラスは、風や日差しにも強くて、雨に濡れても劣化しにくい洗い出し仕上げになっているんだよ。この村の家にある日陰棚のほとんどが南側に設置されているんだけど、階級がわりと高い人が住んだ官舎の何軒かは、こんなふうに南北両側にテラスと日陰棚があるんだ。日陰棚に蔓植物を絡ませれば、日よけになる。それから、ここに来る時に格子状の塀があるのに気づいたかい?
星記者: ええ、格子状のと、連隊長官舎のと同じ長細い格子状のがありましたね。
勝利お爺ちゃん: あれも日本統治時代の建物の特色なんだ。あの塀はセメントに小石を混ぜて作ったものだよ。塀が透かしになっていると、開放的な感じがするね。